こんにちは。
神社めぐりが大好きな
ブログ管理人の巡りひとです。
このブログでは主に私が巡った神社について書いていきます。
2023年の春頃、Xに掲載されていたことがきっかけで東北熊野大社を知ることになったのですが、
なぜこちらの神社を巡ったかと言うと、
拝殿の修理に資金集めに「クラウドファンディング」を使った神社だったからです。
いまや資金集めにクラウドファンディングを使うのは当たり前になってきてはいるのですが、
どんな風に神社が修復されたのか興味があり、巡ってきました。
東北熊野大社は「明るく清らかで素直な心」をキーワードに、
日本で初めてのプロポーズの言葉を掲載。
「あなにやし、えをとめを。(ああ、なんと素晴らしい女性だろう。)」
「あなえにし、えをとこを。(ああ、なんと素晴らしい男性だろう。)」
の二言でした。
こちらの御祭神様が伊弉諾尊(イザナギノミコト)と伊邪那美命(イザナミノミコト)で
そのお二方のプロポーズの言葉という事でしたが、
シンプルで素直な感じがとても良いですよね!
また、「むすひ」という言葉も出てきます。
不思議な言葉ですが、「むすひ」とはモノが生まれる力で、
この世の万物のモノがこちらの力によって誕生する様を言っています。
君が代の一節に「さざれ石の巌となりて苔のむすまで」とありますが、
さざれ石位の小さな石が大きな岩となり、そこに自然の苔が誕生する、という
事を謳っているのですが、
この「むす」についてむすびの神(タカミムスビ・カミムスビ)のことを指すそうです。
君が代の「君」はキがイザナギノミコト、ミがイザナミノミコト、を指すとのことで、
男女が結ばれて繁栄する様、
代は時代を超えて、との意味だそうで、
「君が代」という国歌は
この二神が結ばれ子孫が繁栄する事を願っていることを
日本の国家繁栄に例えて謳ったものと考えられます。
そういうことを知ると、「君が代」という国歌はとても味わい深い歌ということになりますね。
だいぶ脇道にそれた感じがしますが、
東北熊野神社の歴史に軽く触れてみることにしましょう。
西暦806年、当時の天皇・平城天皇の勅命により再建された神社で、
熊野修験の霊場として栄えたそうです。
日本三熊野の由来がある東北熊野大社ですが歴史の中でも顔を出し、
1604年には直江兼続が大旦那になりこちらの神社の修復にあたる他、
ここからは写真を交えて記載します。
神社入り口につきますと、大銀杏がお迎えしてくださいます。
さすがにこの時期でしたので銀杏の葉は落ちていましたがとても素敵な銀杏の木でした。
正面階段ですがその奥の拝殿へ続く道がとても清らかで期待感を膨らませます。
頂上までつくと、拝殿が見えます。
先程こちらの拝殿の修理がクラウドファンディングで、と記載しましたが、
現在は修復も終わりとてもきれいな状態が拝見出来ました。
2006年に千二百年祭を記念した屋根修復事業により天明7年(1787年)の墨書が発見され、
この年以前の建設であることが判明したとのことです。
また、萱で葺くのは、山形県独自の建築様式で、
出羽三山合祭殿などにみられますが、
東北熊野大社の拝殿はその中でも最も古いとされています。
思わず、感慨深くなり写真を撮影しました。
こちらに来られましたことを感謝して参拝。
そののち、拝殿の裏に何やら風車・・・・。
風車のトンネルがあり、風が吹くと一斉に風車が周り出します。
素敵な光景でした。思わずこちらでも写真をパチリ。
本殿にご挨拶をします。
風車のトンネルを抜けながら、本殿の裏手に回ります。
3羽のうさぎがいるとのことでしたが、なぜか今回見つけられませんでした・・・。
そして、拝殿近くの皇大神社(天照大神)・厳島神社・白山神社を巡ります。
境内には30柱の神様がおり、見ているだけで楽しい。
かなえたい願い事別に巡るルートの手引きがあったりと親切だな、と思いました。
落ち着いた境内で、ゆっくりな時間を過ごしました。
掲載しているのは熊野神社のシンボル・ヤタガラスが入った御朱印
御朱印帳も山形・米沢の「米織小紋」を使った御朱印帳があったりと
東北という地域を意識したものになっておりました。
今回も素敵な神社を巡れてよかったです。
今回もご覧頂きありがとうございました。